写真:筆者撮影
今年(2024年)は選挙イヤーでした。秋の衆議院選挙をはじめ、東京都や兵庫県など大都市の知事選挙も注目を集めました。アメリカでは大統領選挙が終わったばかりです。個人的には今年ほど選挙のあり方について考えさせられた年はなかった気がします。
いくつかの選挙でSNS運用に長けた候補者が発信する“ストーリー”に共鳴した人々が街宣に押しかけ、リアルな熱狂を生み出したことが話題になりました。それが投票行動にどう結び付いたのかは分かりませんが、情報の中に多くのデマが含まれていたことが既に判明しています。さらに選挙運動の名のもとに他陣営への妨害行為を行う候補者も現れ、逮捕者まで出してしまいました。
何が真実か見極めるのが難しい時代になった・・・ そんな思いを抱いていた時に読んだのが佐野広実さんのミステリー小説「誰かがこの町で」です。今回はこちらを紹介しましょう。
ある高級住宅街で起きた不可解な事件
弁護士・岩田喜久子が19年前に一家で失踪した親友・望月良子の娘を名乗る若い女性から家族の捜索を依頼されるところから物語は始まります。共に弁護士を目指していたものの結婚という道を選んだ良子の失踪は喜久子の記憶に影を落としていました。そこで彼女は事務所の調査員である真崎雄一に調査を託すことにします。
19年前、良子の一家が住んでいたのは与久那町の鳩羽地区という高級住宅街。さらにその2年前、鳩羽では小学生の男児が誘拐されたのち他殺体で発見されるという痛ましい事件が起きていました。ストーリーは男児の母親である木本千春と、調査を進める真崎の2人の視点で語られます。過去と現在の描写が交互に出てくるので最初は少し戸惑いますが、すぐに慣れるのでご安心を。
鳩羽地区では高級住宅街のイメージを守るため、住民にあらゆるルールを課していました。また地区長の菅井は絶対的な存在であり、治安維持を担う副地区長の延川と防犯係の松尾も大きな発言権を持っていました。実はルールに明確な基準があるわけではありません。地区長の意向を忖度した住民が自主的に厳格化していったのです。
そんな鳩羽で起きた男児の殺人事件。隣町の団地に住むベトナム人技能実習生が怪しいという噂が広まり、防犯係に先導された住民たちは排斥運動を行います。結局ベトナム人は無実だったのですが、この騒動は住民に“よそ者の仕業”という先入観を植え付け、地域の結束をさらに強める効果をもたらしました。和を乱す者はおのずと敵視されます。
それから約20年。失踪事件を追って鳩羽に着いた真崎も住民の嫌がらせに遭います。住民にとって過去を蒸し返す真崎は安全を脅かす悪党。彼らにとっては見たいものが真実なんです。見たくないものは“初めから存在しないもの”と自己暗示にかけ、わき上がる違和感に蓋をしてやり過ごします。周囲から浮いてしまったら自分が攻撃されかねません。つまり同調圧力です。そんな心理を利用して何らかの利益を得ようとする人間はどんなコミュニティーにもいますよね。もちろん鳩羽にも。
やがて第三の事件が起きます。果たして男児殺人事件や一家失踪事件と関係があるのでしょうか。だとしたら犯人は? その動機は? そしてこの町の最大の闇とは? ページをめくるごとに点と点が線になり、一気に読み終えてしまいました。
これがもし鳩羽地区という限られた空間じゃなかったら・・・とふと考えてしまいます。例えばネットによる拡散が加われば、その影響は計り知れません。偏った情報が生んだ熱狂が直接的な暴力に発展することを私は今年の選挙で痛感しました。物語の終盤、激高した住民の1人が真崎に吐き捨てた言葉が胸をざわつかせます。「いいか、これで終わりじゃねえぞ」
奇しくも今年、“ポストトゥルース”の生みの親ともいえるトランプ氏が大統領に返り咲きました。生成AIの普及で巧妙な偽画像や偽情報があふれている今、私もデマに踊らされ“加害者”になってしまうかもしれません。いや、既になっているかも・・・ そんなことを感じさせるミステリーでした。
さて、この「誰かがこの町で」がドラマ化され、12月8日からWOWOWで放映されます。真崎役は江口洋介さん、喜久子役は鶴田真由さん、そして千春役が大塚寧々さん。小説のイメージからすると、江口さんはちょっとイケメンすぎな気もしますが(笑) 絶妙なキャスティングだと思います。個人的には大塚寧々さんに期待大! 全4回のこのドラマ、今から楽しみです。
「誰かがこの町で」
著:佐野広実
講談社